6. 世界宗教の歴史 (3):イスラームの成立と展開
資料確定:2025-11-10 15:24
目次
6.1. イスラームとは
6.2. イスラームの世界分布
6.3. 高校の世界史における関連記事
6.4. ムハンマドの生涯
6.5. クルアーン・ハディース・シャリーア
6.5.1. クルアーン(コーラン)
6.5.2. ハディース
6.5.3. シャリーア
6.6. イスラームの歴史的展開
6.7. イスラームの基本的内容
6.8. ユダヤ教・キリスト教・イスラーム
6.1. イスラームとは
「イスラーム」(東長靖『イスラームのとらえ方』山川出版社、1996年)
元来、「自分のすべてをだれかに委ねること」
このことばを単独で用いるときには神(アッラー)がその対象。
ただし、あくまでも自分の力のおよぶ限りの努力をすることが前提であり、それでも人間の力には限界があるからすべてを神に委ねる、と考える。
ふつう理解する「宗教」ばかりでなく、政治・経済にまでまたがる。
イスラームにしたがって生きようとする人々をムスリムという。 6.2. イスラームの世界分布
イスラーム(宗教人口 世界第2位:世界人口の23.2%)
イスラームの世界分布図(エリアごと)
http://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/06_ms-map.png
地域別のムスリム(イスラム教徒)の人口
https://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/mus-pop.png
(地域/ムスリム人口/地域の全人口/全人口に占めるムスリムの割合)
ムスリムの多い国ベスト10
イスラム教=アラブ=中東というイメージがあるが、実際はどうだろうか。
イスラム教徒の多い国はどこか。
https://assets.pewresearch.org/wp-content/uploads/sites/11/2012/12/mus-10.png
(国名/その国のムスリム人口/その国の人口に占めるムスリム人口の率/世界のムスリム人口に占めるその国のムスリム人口の率)
6.3. 高校の世界史における関連記事
イスラームの歴史の入口として
例えば、『タペストリー』19訂版(過去の版でもほぼ同じ)
124. イスラームの出現と拡大:アラブ帝国からイスラーム帝国へ
126. イスラーム世界の変容:イスラーム世界の地方分権化
128. イスラーム文化:ネットワークから生まれた融合文化
130. イスラーム世界の成熟:ティムール帝国とサファヴィー朝の展開
132. オスマン帝国:三大陸にまたがるイスラーム帝国
134. ムガル帝国:ヒンドゥー・イスラームの融合と競合
144. (十字軍とレコンキスタ:西ヨーロッパ世界の膨張)
192. (ウィーン体制の成立と崩壊:反動体制と自由主義・ナショナリズムの高揚)
220. アフリカの分割:列強に引きさかれるアフリカ
222. 近代の西アジア:西アジアの近代化とイスラームの団結
224. 近代の南アジア:イギリスによる収奪と統治
226. 近代・戦間期の東南アジア:植民地化と高まる民族運動
NHK高校講座 世界史探究
第19回 探究2 諸地域の交流と再編を学んで
6.4. ムハンマドの生涯
「ムハンマド」(『岩波イスラーム辞典』)
570年、当時マッカを支配していたクライシュ族の一員として生まれた。 シリアの隊商貿易に従事した。
25歳頃、結婚した。
35歳頃、カアバ神殿の再建に参加した。
610年頃、瞑想中に大天使の訪問を受け、クルアーンの啓示が始まった。 613年頃から布教が公然化すると、クライシュ族から激しい迫害を受けた。
622年、信徒達とともにマディーナ(メディナ)に移住した。:ヒジュラ(聖遷)→のちにヒジュラ暦(イスラーム暦)の紀元となる。 マディーナでは、彼を長とする共同体(ウンマ)が成立した。 630年、マッカを征服した。
632年、多数の信徒を連れて最後の大巡礼を行ったのち、亡くなった。
6.5. クルアーン・ハディース・シャリーア
東長『イスラームのとらえ方』、中村『イスラム教入門』)
アラビア語で書かれたイスラームの根本聖典。
預言者ムハンマドが最初の啓示を受けた610年から死の632年の間の折々に下された啓示を、預言者や周囲の人々が記憶しメモしていたものを、預言者の死後に集め記録したもの。
「クルアーン」ということばは「(声に出して)誦まれるもの」を意味する。
表現(音)の美しさが奇跡とされてきた。
「雌牛の章」(第2章)285-286節…毎日の祈りとしてよく読誦される。
285節 使徒ならびに信者たちは主より下されたものを信ずる。一人一人が神と諸天使と啓典ともろもろの使徒を信ずる。われらは使徒たちのあいだでだれをどうと差別しない。彼らは言う、「われわれは聞き、そして従います。主よ、なにとぞお赦しください。われわれが行き着くところはあなたのみもとです。」
286節 神は各人に能力以上の負担を負わせたもうことはない。自分の稼いだものが自分のためになり、自分の稼いだものが自分にあだをなす。主よ、もし私どもが忘れたり、あるいはあやまちを犯しても、お咎めになりませんよう。主よ、私どもより先にあった人々に負わせたもうたような重荷を私どもに負わせないでください。主よ、私どもに耐えきれないものを負わせないでください。私どもの罪を免じ、私どもを赦したまえ。あなたは私どもの守護者であらせられます。信仰なき民に勝てるよう、私どもを助けたまえ。
(藤本勝次責任編集『コーラン』)
6.5.2. ハディース
スンナは、預言者ムハンマドの生前の言行。
ムスリムはスンナにしたがう必要がある。
高尾賢一郎「イスラーム(1)」(櫻井・平藤編『よくわかる宗教学』)
広く知られる六信・五行の信仰箇条を中心に、日常のさまざまな事柄について、どのような根拠にもとづき、どのようにふるまうべきかが、人間ムハンマドの言行によって明らかにされる。 イスラーム法。
ムスリムが守るべきさまざまな決まりごと。
アッラーが信徒であるムスリムにくだした命令と理解されている。
6.6. イスラームの歴史的展開
『詳説世界史B』(山川出版社、2013年)、『岩波イスラーム辞典』(2002年)などを参照。
この項、『詳説世界史B』に依拠した記述については、特記していない。
世界への展開:いつごろ、どの地域に展開しているかを意識する
中東
南アジア
東南アジア
アフリカ
ヨーロッパ・アメリカ
スンナ派/シーア派(「宗教学Ⅰ」で既出)
イマーム
イスラームの宗教的指導者。
ムスリムの集団を束ねるもの。
スンナ派では、イスラーム共同体の最高指導者であるカリフ(ハリーファ)の意味に用いることがある。 ムハンマドの死後、共同体の首長(イマーム)は歴史的に正統カリフ、ウマイヤ朝、アッバース朝と継承された。
スンナ派:これをそのまま受け入れる。イスラームの多数派。
シーア派:
その現実を承認せず、預言者の権威は[ムハンマドの死後]ただちにアリー[ムハンマドの従弟で、娘婿]、そしてその子孫に継承されると主張する人々。
アリー没後のイスラーム共同体は、アリーの子孫がイマームとして指導すべきと考えた。
シーア派では、イマームの地位は預言者の血統を尊重する考えと融合した。
7世紀
正統カリフ
632年、ムハンマドの死後、イスラム教徒はイスラム共同体(ウンマ)の(最高)指導者(=代表者)としてアブー=バクルをカリフ(ハリーファ)(預言者の後継者または代理人の意)に選出した。 661年、第4代カリフのアリーが暗殺された。
ウマイヤ朝(661-750)
661年、アリーと敵対していたムアーウィヤ(シリア総督)が、ダマスクスにウマイヤ朝を開いた。
支配領域を著しく拡大した。
ウマイヤ朝の最大版図(Wikipediaへのリンク)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3f/%E5%80%AD%E9%A6%AC%E4%BA%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E7%89%88%E5%9C%96.svg/1920px-%E5%80%AD%E9%A6%AC%E4%BA%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E7%89%88%E5%9C%96.svg.png
アラブ人優遇
彼らがイスラームに改宗しても免除されなかった。
8世紀
アッバース朝(750-1258)
750年に開かれた。
マンスール(第2代カリフ)が首都バグダードを造営した。 アラブ人の特権はしだいに失われた。
アラブ人以外でも、ムスリムであれば人頭税は免除された。
アラブ人でも、征服地に土地を所有する場合は地租が課せられた。
カリフの政治は、イスラーム法(シャリーア)にもとづいて行われるようになった。 9世紀はじめからマムルーク(トルコ人奴隷の名称)を親衛隊として用いた。
後ウマイヤ朝(756-1031)
756年、ウマイヤ朝の一族がイベリア半島に逃れて建国した。
首都コルドバ。
ファーティマ朝がカリフを称すると、対抗してカリフの称号を用いた。
東方イスラーム文化とイベリア半島由来のローマ=ゴート文化やビザンツの伝統が影響しあい、独自の文化世界が生み出された(安達かおり「後ウマイヤ朝」『岩波イスラーム辞典』)。
9世紀
9世紀初め以後、バグダードの「知恵の館」を中心に、ギリシア語文献が組織的にアラビア語に翻訳された。
これによって、イスラーム教徒の学問が飛躍的に発達した。
サーマーン朝(875-999)
イラン系イスラーム国家で、西トルキスタンに建国された。
この政権のもとで、トルコ人のイスラームへの改宗が進んだ。
アミールを自称して形式的にはアッバース朝カリフの権威に服したが、実質的には独立王朝だった。
この王朝のもとで、新たにアラビア文字を使ったペルシア語が成立した(羽田正「サーマーン朝」『岩波イスラーム辞典』)。
10世紀
ファーティマ朝(909-1171)
10世紀はじめに北アフリカにおこった。
シーア派。
969年、エジプトを征服して首都カイロを造営した。
当初からカリフの称号を用い、アッバース朝カリフの権威を否定した。
この王朝の時代は、文化・芸術・学問の面でもイスラーム史上に輝く時代だった(菟原卓「ファーティマ朝」『岩波イスラーム辞典』)。
ブワイフ朝(932-1062)
イラン人の国家。
946年、バグダードに入城して、カリフから大アミール(=アミール[軍司令官]のなかの第一人者)に任じられ、カリフにかわってイスラーム法を施行する権限を与えられた。=アッバース朝の傀儡化。 現在のイラン・イラク地域を支配した。
カラハン朝(10世紀半ば~12世紀半ば)
トルコ系初のイスラーム王朝。
10世紀末にサーマーン朝を滅ぼして、東・西トルキスタンをあわせた。
サーマーン朝で成立したペルシア的イスラーム文化を受容して、トルコ・ペルシア的イスラーム文化の萌芽が表れた(濱田正美「カラハン朝」『岩波イスラーム辞典』)。
ガズナ朝(962-1186)
アフガニスタンを拠点とするトルコ系。
この王朝による北インド支配が、インド亜大陸へのイスラーム拡散の大きな契機になった(森本一夫「ガズナ朝」『岩波イスラーム辞典』)
スーフィー(イスラーム神秘主義者):「シャリーアに従った外面的な行動の面のみならず、特別な修行による神秘体験などを通してアッラーに近づき、信仰を高めようする人々」(大塚「イスラーム」『現代宗教事典』)。この人々による思想や運動をスーフィズムという。内面を重視する思想・運動である。 10世紀以後のイスラーム社会では、都市の職人や農民のあいだに、スーフィズムが盛んになった。
(12~13世紀頃には…:12世紀を参照)
11世紀
セルジューク朝(1038-1194)
中央アジアから西方に進出した。
マムルークを採用して、強力な軍隊組織を整えた。
アッバース朝のカリフ政権との協調をはかり、シーア派のファーティマ朝に対抗する、スンナ派政策をとった(「井谷鋼造「セルジューク朝」『岩波イスラーム辞典』)
11世紀、東地中海沿岸に進出し、聖地イェルサレムを支配下においた。
ビザンツ帝国をも圧迫した。
ビザンツ皇帝が教皇(ローマ法王)に支援を要請し、十字軍が開始された。
北アフリカ
11世紀半ばに、先住民ベルベル人のあいだに熱狂的な修道士たちの宗教運動がおこり、イスラームへの改宗が急速に進んだ。
ムラービト朝:北アフリカ(1056-1147)
モロッコ中心。
西部スーダンのガーナ王国を破り、内陸アフリカにイスラームを広める道を開いた。
12世紀
ムワッヒド朝:北アフリカ(1130-1269)
モロッコ中心。
イブン・トゥーマルトによる徹底した神の唯一性を主張する宗教運動を基礎に樹立された王朝。
学問・学芸も栄えた。
ゴール朝(1148頃-1215)
ガズナ朝から独立した。
富の略奪を目指してインドへの侵攻を繰り返した。
アイユーブ朝:エジプト(1169-1250)
サラディン(クルド人)が樹立した。
ファーティマ朝を倒してスンナ派の信仰を回復した。
1187年、十字軍を破ってイェルサレムを奪回した。
西アフリカ(12-16世紀)
西アフリカでは、11世紀終わり頃ガーナ王国が衰退すると、イスラーム化が進んだ。
13世紀から16世紀にかけて、マリ王国(1240-1473)・ソンガイ王国(1464-1591)の支配階級はムスリムだった。
12~13世紀頃からスーフィー指導者の周辺に民衆が集まり、その指導の下で修行を行う教団(タリーカ)機構がつくられ出した(大塚「イスラーム」『現代宗教事典』)。 教団員はムスリム商人の後を追うようにして、アフリカや中国・インド・東南アジアに進出し、各地の習俗を取り入れながらイスラームの信仰を広めていった。
中には厳格主義的なウラマー[イスラーム諸学を修めた知識人]から逸脱的とみなされて批判される、派手な振る舞いや人目を引くパフォーマンスをする教団も現れた(大塚「イスラーム」)。
一部の教団指導者などは、普通のムスリムに不可能な、病気治しなどの奇跡を行うことができる聖者であるという民間信仰が広がるようになった。
2025/11/11 14:20
13世紀
奴隷王朝:インド(1206-90)
13世紀はじめに、インドで初めて成立したイスラーム政権。
デリー=スルタン朝:インド(1206-1526)
奴隷王朝を含めて、デリーを本拠としたイスラーム諸王朝の総称。
インド=イスラーム文化が誕生した。
イル=ハン国(フレグ・ウルス):イラン(1258-14世紀半ば)
チンギス=ハンの子孫たちが治める地方政権の一つ。
第7代君主がイスラームに改宗した。
モンゴルの伝統を保持したままでイスラームを保護する王朝の立場を成立させた(岩武昭男「イル・ハーン国」『岩波イスラーム辞典)。
このモンゴル的イスラーム国家の形態はさらに発展し、その後のトルコ=モンゴル系諸国家に大きな影響を与えた(同上)。
ナスル朝:イベリア半島(1232-1492)
マムルーク朝:エジプト・シリア(1250-1517)
1250年、アイユーブ朝を倒して建国された。
東南アジアでは諸島部を中心にムスリム商人や神秘主義教団が活躍が活動した。
サムドラ・パサイ王国:東南アジア(1267-1521)
13世紀末、スマトラ島に樹立された。
東南アジアで最初のイスラーム国家。
小規模だった。
オスマン朝:アナトリア西北部(1299-1922)
ムスリム・トルコ系の王朝。
13世末に建国。
アナトリア側のビザンツ帝国領を奪った。
イスラーム的世界帝国となった。
14世紀
14世紀半ば、チャガタイ=ハン国(チャガタイ・ウルス)が東西に分裂した。
ティムール朝(1370-1507)
西チャガタイ=ハン国出身のティムールが建国した。
西トルキスタンを統一した。
西に展開して、イル=ハン国滅亡後のイランからイラクにいたる領土を支配した。
トルコ・モンゴル的な国家体制や軍事制度を利用しつつ、領土内の定住民社会にはイラン・イスラーム的な行政制度や都市政策で対応した(久保一之「ティムール朝」『岩波イスラーム辞典』)。
イル=ハン国で成熟したイラン=イスラーム文化が中央アジアに伝えられ、トルコ=イスラーム文化として発展した。
15世紀
マラッカ王国(ムラカ王国):東南アジア(14世紀末 - 1511)
15世紀、王がイスラームに改宗した。
東南アジアにイスラームが拡大する重要な契機となった(イスラーム布教の中心地となった)。
15世紀半ばにタイの勢力がマラッカ支配を回復しようとした際に、西方のイスラーム商業勢力との関係を強化して阻止した。
1511年、ポルトガルの攻略によって陥落した。
1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼした。
16世紀
16世紀初め頃までに、『千夜一夜物語』(『アラビアン・ナイト』)はカイロで現在の形にまとめられた。
ムガル帝国:インド(1526-1858)
バーブル(ティムールの子孫)がカブールを本拠にして北インドに進出し樹立した国家。
アクバル(第3代皇帝):信仰と統治の両面で、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融合をはかり、支配の基盤を固めようとした。
18世紀
ワッハーブ運動
18世紀にアラビア半島で起こったイスラーム改革の運動。
創始者イブン・アルドゥル・ワッハーブがサウード家と同盟し、イスラム法に立脚する王国の建設を目指した(小杉泰「ワッハーブ運動」『角川世界史辞典』ほか)。
スーフィズムや聖者信仰を武力によって消滅させようとした(大塚「イスラーム」)。
改革思想として、イスラーム世界各地に影響を与えた(小杉「ワッハーブ運動」)。
6.7. イスラームの基本的内容
① 唯一神と多神教の「神」観念の根本的相違(「宗教学Ⅰ」で既出)
(大塚和夫『イスラーム的』pp.24-26)
「唯一神」を認めるということは、「捨てる神あれば、拾う神あり」といった考え方がまったく通用しないということである。幾多の神仏の中から「霊験あらたかな」ものを選んで、それを信仰するといった、人間の主体的な判断にもとづく崇拝対象の選択など、まったくありえないのである。イスラームの信仰告白で明言されているとおりに、アッラーの他に神はないのだから。
さらに、当然のことながら、人間が神仏になったりすることはできない。いかなるものであれ被造物が、創造者と同列の崇拝対象となることは、神の唯一性を危ういものとし、多神教へとつながりかねないものだからである。この点で、柳田國男のある論文のタイトルを借りるならば、「人を神に祀る風習」を一つの特徴とする日本の宗教文化とは、決定的に異なるのである。とはいっても、キリスト教社会における「聖人」信仰と類似した現象は、イスラーム、ユダヤ教世界にも見られることを忘れてはならない。もっとも、彼らは、両者を教義上混同することはなく、したがって「聖なる人物」を「アッラー」とは絶対に呼ばないことも強調しておきたい。(中略)
別な面から言えば、少なくとも近世以降の日本宗教では、まず神仏に頼ってこの世で幸福を得て、それから死後の極楽浄土での救済を求める傾向が強いようである。いくら来世で救われても、この地上での幸福にありつけなければ何もならないという現実的な打算が、日本人を宗教に駆りたてる動機として、かなり優先されているように思われる。実際、今日信者を多く集めている新宗教諸派において、病気治療や事業の成功といった信心の結果としての功利性が、人びとに大きくアピールしているのである。その点で、「現世利益」追求を重視する宗教文化ということができよう。
一方、一神教の世界では、死後の世界、来世の世界での永遠の救済を強調する傾向が一般に見られる。この世でいかなる贅沢三昧な生活をして、栄耀栄華を誇っても、最終的な価値基準は来世で天国へ行くか、地獄へ落ちるかである。その意味で、原則的に「来世利益」志向をもつといえる。ただ、これらの宗教文化でも、「現世利益」がまったく否定されているわけではない。先にふれた、「聖人=聖者」をめぐる信仰複合などは、病気治癒、一族の安寧平和、事業・学業の成功などといった現世利益を得ようとする人びとにとって、きわめて重要な役割を果たしている。
② アッラー=神
神のあり方(中村廣治郎『イスラム教入門』pp.68-69)
唯一の神、アッラー
(前略)神が唯一であるということは、それだけで十分であり親も子も必要なく、また伴侶も助力者も不用だということである。それはまた「並ぶ者なき神」ということ、神はユニークで神に比べられるものは何もないということ、超越神であることを意味する。神が超越者であるということは、空間的時間的な意味においてではない。もっとも、それはしばしば空間的用語で表現されるが、その真意は、神の本質・属性は被造物からの類推をこえているということである。
神の属性と権能
しかし同時に、コーランでは神は「各人の頸の血管よりも近く」(50:16) にあるといわれるが、それは単に神が人間のどのような心の思いも知悉しているということだけではなく、神はその属性において人間に最も近く、人間の言葉で人間のように語り、また人間のようにみたり聞いたり、喜んだり怒ったり、思い直したりする人格神でもあるということ、神は世界や人間を超越していると同時に、それらと関係をもつ存在であるということである。
神は全知全能であり、天地万物の創造者・支配者である。その力は普遍であり、この世に生起し存在するもので一つとして神の意志と力によらないものはない。自然界の現象はすべて人間のための神からの恩恵である。要するに、自然界・人間界に起ることすべての背後に神のみえない手が働いていて、すべて有意味的であるということである。
この神はまた、悪人を罰し、信仰し善行をなす者にはよい報いを与える正義の神である。そこには厳然とした因果応報の理がある。しかし、同時に「悪いことをしたあとでも、立派に改悛してその償いをする者には神も[赦しの]御顔を向けて下さろう。神は何でもお赦しになる情深い御神である」(5:39)。もっとも、「神は御自分が他[の偶像]と一緒に並べられたら絶対にお赦しにならない」(3:48)。
他方、またコーランには、「神は御心のままにある者を迷いの道に陥れ、また御心のままにある者を正しい道に導き給う」(14:4、2:284)、「天と地の主権は神に属す。誰を赦し、誰を罰するもすべては御心次第」(48:14)、「[万物を]生かすも殺すも、[すべてはこの神の]お計らいである」(44:8)といった表現が多くみられる。これらは、正邪・善悪の理を平気で無視する恣意的存在であるかのような印象を与える。だが、それらはただ神の絶対的自由、人間理性の尺度を超越した存在であること、したがって人間はこの神に依りすがるより以外に救われる道のないことを強調的に表現したものと思われる。
③ イスラーム(前掲)
④ クルアーン(コーラン)(前掲)
⑤六信・五行
その存在を信じることが義務であるとされているもの。
ムスリムであるための信仰上の義務。
五行(五柱):すべてのムスリムに課せられた義務としての5つの信仰行為 信仰告白(シャハーダ)
義務の礼拝(サラート)
ザカート(「喜捨」の意)
⑥ 天国と地獄
中村廣治郎「天国と地獄(イスラムの)」『歴史学事典』3
…コーランによれば、この世は終末をもって終わる。それはあるとき、突如として訪れる天変地異となって現れる。天使の吹くラッパが鳴り響くと、大空は真っぷたつに裂け、星は飛び散り、太陽は暗黒で蔽われ、大地は山とともにもち上げられたかと思うと叩きつぶされ、地中のものは全部吐き出される。人間は1人残らず墓からあばき出され、生前と同じ姿に戻される。これが復活である。復活の後、人間はすべて神の前に引き出され、審判を受ける。各人の生前の信仰や行為がすべて記録されている「帳簿」が手渡され、目の前で開けられ、秤で計量される。「秤が重く下った者」は天国に、「秤が軽くはね上がった者」は地獄に落とされ、それぞれ相応の報いを受ける。後代の伝承では、各人はさらに地獄にかけられた剣の刃よりも狭い橋を渡らせられるとか、様々な出来事が想像豊かに数多く付加されてくる。
こうして「信仰し善行に励んだ者」は天国で何の気遣いもなく、こんこんと湧き出る泉のほとり、緑したたる木陰で絹の寝台に横たわり、美味な食物や果物を心ゆくまで食べ、美しい乙女を妻として与えられ、何不自由のない安楽な生活を送る。だが天国における最高の喜びは神の御顔を拝することだともいわれ、地上では知りえない多くの楽しみがあるといわれる。
これに対して、信仰せず不義をはたらくばかりの性悪は、地獄で永劫の責苦を受ける。彼らには火の衣服が仕立てられ、頭上から熱湯が注がれ、熱い泉水や膿汁を飲まされ、内臓も皮膚も溶けただれる。ひと思いに死にたいと思っても死ぬことができない。苦痛のあまり這い出そうとすれば、突き落とされる。
天国・地獄についてのコーランの記述は詩的イメージに富み、きわめて感覚的かつリアルで、読む者(聞く者)の感情に強く訴える。それだけに、そこから天国や地獄の形状を具体的に知ることは困難である。しかし、コーランの記述に人間の想像力が後に加えると、天国と地獄も徐々に形を整えてくる。その1つは、中世キリスト教世界とも共通するが、天上の楽園の世界を8つの層に、地獄を逆円錐形の7層の巨大な空間として描く。その際、コーランにおいて天国・地獄を表す様々な呼称がこれらの層を表すと解された。そてこれら地獄の各層に人間の特定のグループが割り当てられた。上からそれぞれ、大罪を犯したムスリム(彼らはそこで浄化され、やがて天国に入れられる)、キリスト教徒、ユダヤ教徒、サバ教徒、ゾロアスター教徒、偶像崇拝者、偽善者である。…
⑦ イスラームの人間観
人間は各々自己の信仰と行為に応じて報いを受ける。
人間の行為はすべて全能なる神の力によるものである。
人間が心から神にゆるしを求めれば、神はそれを受け入れてくれる。
人間とは何か(中村『イスラム教入門』pp.76-77)(宗教学Ⅰで既出)
人間は自由なる意志をもった主体として自己の行為に責任をもつ。この点で、他の被造物と異なる。
コーランにおいてくり返し説かれていることは、人間は各々自己の信仰と行為に応じて報いを受けるということである。そこにあるのは厳正なる因果応報の倫理である。そこでの前提は、人間は自由なる意志をもった主体として自己の行為に責任をもつということである。この点で人間は他の被造物とは異なる。
他方では、人間の行為は他の被造物と同様にすべて全能なる神の力によるものであり、また神の意志によってあらかじめ決定されているともいわれる。これがのちにスンニー派[スンナ派]で強調されるイスラム教の「予定」(カダル)である。特に人間の信仰・不信仰は恣意的とも思われる神の意志によって自由に左右されるともいわれる。
今一つ注目すべき点は人間の罪性と神の赦しである。コーランではアダムは神の命令に背いて楽園を追放されたが、その罪はのちに神によって赦されているので「原罪」の思想はない。しかし、神の圧倒的な力の前では、人間はまったく取るに足らない無力な存在である。確かに人間の尊厳は神が「息を吹き込んで」つくった存在であり、神の託した「委託物」を引き受けたことにある(33:72)。そのためにかえって人間は横暴と無道者の本性を発揮してしまう。そして、その無知と愚かさと弱さの故に、善行をなそうと思いつつもかえって罪を犯してしまう。だが、神は慈悲深く寛大であり、人間が罪を懺悔し、心から神に赦しを乞い求めれば、神はそれを受け入れてくれる。アダムはこうして赦された。そこには何の秘蹟も必要とされない。ここに因果応報だけではすまない信仰の問題がある。
6.8. ユダヤ教・キリスト教・イスラーム
大塚和夫「ユダヤ教・キリスト教・イスラーム」(大塚『イスラーム的』)pp.26-30:大塚は、イスラームの特徴について、ユダヤ教やキリスト教と比較し、共通点と相違点をあげて明確に説明している。
ユダヤ教・キリスト教・イスラームは、中東地域でこの順番に成立した兄弟宗教である。いずれも天地を創造した唯一神を崇拝し、その絶対神との契約にもとづく信仰を守っているという共通点をもつ。…
このような事実の確認において、日本人にとって盲点となりがちなのは、まずこれらすべてが中東で成立した宗教であるという点である。…
言語に関しては、ユダヤ教はヘブライ語、イスラームはアラビア語を重視している。何よりもそれらは、それぞれの宗教の聖典に用いられている言語なのである。そして、これら二つの言語およびイエスとその弟子たちの用いていたアラム語も、今日の言語分類では、アフロ・アジア語族のセム語派に含められている。そこで、これら三つの宗教を総称してセム的一神教と呼ぶ。…
また、聖典に関してもいくつか興味深い点が指摘できる。用いられている言語との関係では、イスラームは経典の翻訳を認めていない。ムスリムにとって「クルアーン」は、非ムスリムが考えているようにムハンマドの「創作した作品」」でなく、あくまで神が預言者の口を通してアラビア語で人びとに伝えた啓示そのものなのである。その意味で、神が用いたアラビア語で書かれたもののみがクルアーンといえるのである。…
またユダヤ教の場合、モーセ五書、預言書などの聖典…(略)…は、ヘブライ語で書かれていたものを基本としている。
それにたいしてキリスト教の「聖書」は、さまざまな言語に翻訳可能である。そもそも、ヨーロッパ世界に伝えられた「聖書」は、ヘブライ語や当時の地中海世界の共通語であったギリシア語で書かれていたものであり、その後ローマ教会ではラテン語を公式用語として採用してきた歴史がある。16世紀のプロテスタンティズムの成立は、ラテン語聖書の民衆語への翻訳活動と密接な関連をもっていた。つまり、キリスト教では、何語であっても、「聖書」は「聖書」なのである。これは、イスラームでは絶対採用できない考え方である。
さらに、キリスト教においては、神・キリスト・聖霊を同一視する三位一体説が正統教義となった。神学的な議論の微妙な差異は別として、神と「人の子イエス」とを同一視する視点というものが成立したのである。これも、ユダヤ教やイスラームではまったく取りえない思想である。
当然のことながら、ユダヤ教はイエスをキリストすなわちメシアとは認めていない。(中略)イスラームでは、イエスを偉大な預言者のひとりとして尊敬するが、それでも彼はあくまで人間であり、神もしくはその子どもではないという立場を堅持している。
この点で興味深いのは、W・C・スミス[1974]の見解である。彼によれば、「聖典」ということで、キリスト教の聖書とイスラームのクルアーンとは、それぞれの宗教体系においてほぼ同等の意味をもつものと考えられがちであるが、これは誤解を招く類比である。この二つの教義体系の中では、神より直接啓示されたものは、イスラームにおいては神みずからの言葉の集成としてのクルアーンであり、キリスト教ではイエス・キリストの人格である。
使徒たちの筆によるキリストの生涯の記録である新約聖書の福音書に対応するものは、むしろムハンマドの言行を集めた「ハディース」と見たほうがよい。そして、神の使徒としてのムハンマドは、イエスよりもパウロに近い役割を果たした人物となる。
さらに、神と人間たちとの間を仲介する存在は、キリスト教ではキリストになるが、イスラームではクルアーンやハディースなどにもとづいたシャリーア(イスラーム法)である、とスミスは説く。…
また、ユダヤ教とイスラームのあいだにも、かなり本質的な違いがいくつか見うけられる。その一つとして、イスラームでは日頃から唱えられるべき「信仰告白」などを通して頻繁に神の名前(アッラー)を信者が口にするが、ユダヤ教では一般に神名を口にしないという点であげられる。…